プロフィール

専門的なカウンセリングやコーチングを受ける場合には、専門家である僕との相性がとても大切になってきます。

経験上、カウンセリングを受けようか迷ってしまう時「どんな人からカウンセリングを受けるんだろう・・・」と不安になることも、きっとよくありますよね。

 

僕自身の性格面でいうと、周りからは明るく、ほがらかで、落ち着きがあるとよく言われます。

カウンセリング中も、ご相談者さまができるだけリラックスしてお話して頂けるよう、心がけております。

 

以下に、少し長いですが、僕の経歴や生い立ちについても書いてみました。

どうぞ、お時間を作ってご覧ください。

【Youtube配信も行っております】

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ゆる~い雰囲気で、心理カウンセラーの兄・南ユウタと

現在アシスタントでもある妹の南みくとで、生きづらかった当時をふりかえる動画です!

 

せだった家族が…離婚をきっかけに「崩壊」して人生が一変

僕自身は、12歳の頃から、「心の悩み」と付き合う人生が始まったと思っています。

それまでは、とても幸福な家庭に育った、そう思っていました。

 

ところが、12歳のとき、両親が突然の離婚をします。

理由は生々し過ぎてここでは書けません。でも、両親の間の信頼関係を一気に壊す出来事だったことは確かです。

 

そこから、僕の人生は一変します。

母方に引き取られたのですが、その頃から妹は学校でいじめを受け、不登校になり、シングルマザーだった母はうつ状態に陥ってしまい、毎日必死に生活を送るようになります。

…あんなに幸せだった家族が、まさに「崩壊」していくのを子ども心に感じました。

他人の顔色を伺う「よい子」を演じた中高時代

~親のカウンセラー役、ピエロ、ニコニコ仮面をつけて自分見失う~

「僕が、お兄ちゃんとして、母を、家族を、支えなきゃいけないんだ」

中高生時代、僕はずっとそう思ってきました。

 

辛さや孤独を訴える妹の話を深夜まで聴いたり、仕事で疲れた顔をした母の話を辛抱強く聴いていました。

やはり離婚となると、両親の見解のすれ違いの狭間で心が張り裂けそうな想いもしました。

 

父は母を、母は父を、以前のようには愛していない…あまり信じたくはなかったのでしょう。

 

その証拠に僕のその頃の口癖は、

「まあ、離婚なんて、たんぱく質の塊二つが離れるだけの話でしょ。別に気にしない、僕は大丈夫だよ。」というものでした。

 

そのせいか、当時は不思議なくらい自覚はありませんでしたが、僕はずっとこの家族にとって「よい子」であろう、この家族を支える「カウンセラー役」であろうと思って、離婚について感じていた本当の気持ちを封印していたのです。

 

漠然とした生きづらさと空虚感

~仮面の裏で感じた空虚感と自信のなさ、対人恐怖症、うまくいかない恋愛関係

ネガティブな気持ちを感じないようにして心が麻痺した状態になると、当然ポジティブな感情も感じ取りにくくなります。

するとその頃の僕は、何だか毎日が以前のように生き生きとしたものに思えなくなっていたのです。

心になにかポッカリ穴が開いたような、正体不明の漠然とした空虚感や生きづらさを抱えていました。

 

また、常に他人と自分を比べて、人に負けないように気を張る一方で、自分に自信がありませんでした。

今思えば、そんな自分を意識するのも嫌なので避けていました。

 

外から見れば「外見もそこそこだし、勉強もそこそこできて」などと羨ましがられることも、よくあったんです。

でも、そんなものでは満たされない何かが、確実に僕の心を蝕んでいたのです。

 

自意識過剰気味になり、人の目を、とくに女性の目を見るのがとても苦手で、街を歩くときも人の目がとても気になり、基本的に下を向いて歩いていました。

しかも、そんな自分を「なに自意識過剰になっているんだ」と軽蔑し、情けなく、恥ずかしく思う気持ちが邪魔をして、誰にも相談できなかったのでした。

 

自分に自信がないせいで、他人の反応をネガティブに予測する癖も、いつの間にか身についてしまいました。

恋愛でも自分に自信がないので、なかなか好きな人に自分からアプローチできないで悔しい想いを何度もしてきました。

また、いざ恋人ができたとしても不安の強さや自信のなさ、劣等感の強さなどでコミュニケーションがうまくいかなくなるパターンをくり返すようになってしまいました。

「自分がわからない」苦しみ

~共依存状態を脱してから始まった本当のたたかい~

そんな中、僕はカウンセリングを受けに行きました。

目的は「妹の不登校を何とか治して欲しい」というもので、僕自身の問題と向き合うつもりは全くありませんでした。

 

「自分にも対人恐怖的な問題がある」と心のどこかでは感じていたものの、そんな自分は自分自身が認めたくなかったのです。

 

しかしカウンセリングが進むに連れて、どうやら変わるべきは妹や母というよりは、僕自身なのではないかという疑問が、むくむくと湧いてくるようになったのです。

それに、長年の「家族の調整役」の役割に、心身共に限界を感じてもいました。

 

そこでカウンセラーの先生から「君が家族のガス抜きをしているんだよ。君が愚痴聞き役をすることで、家族の他のメンバーは自分自身の問題に向き合う必要がなくなってしまっていると思うよ」という指摘を受けたのです。

 

問題を解決しようと必死に今までやってきたのに、その「解決のためにしてきた努力」が、皮肉なことに問題を長続きさせることに一役買ってしまう…

これを専門的には「イネイブリング」と呼びますが、僕は立派にイネイブリングをする「共依存」状態と呼ばれる状態に陥ってしまっていたことに、このときになってやっと気づけたのでした。

 

大きな気づきを得た僕は、その日、家族全員に電話をして、「僕はこれから一切、家族の愚痴聞き役はしません。全部、自分たちで責任をもってやってください。」と、独立宣言をしたのでした。

 

「これからは他人のためじゃなく、自分自身の人生を生きよう」と心に決めたのです。

「自分の人生の主人公は自分なんだ」と。

これを「自分軸」の生き方といいます。

 

しかし、その後がまた一山ありました。

「共依存」は「他人の世話をすることで自分の寂しさや空虚感を満たそうとする」ことです。

 

そんな「人のために尽くし、人の世話をすることで、自分の問題から目を背けてしまう」状態を「救済者(メサイア)・コンプレックス」とも呼びます。

ということは、当時の僕は家族に独立宣言をすることで「今までの心の満たし方」を捨てたことになります。

すると「自分ってなに?」という、今まで他人の問題ばかりに目を向けたり、他人からの評価ばかり気にしていた僕が、まともに向き合ってこなかった問いにぶつかることになったのでした。

 

「初めて泣けた」…苦しみからの解放

~離婚を初めて悲しむことができて得た真の癒し・取り戻せた本来の自分~

自分自身のことをもっと知りたくて、大学に入学後は、むさぼるように様々な心理学の本を読み漁りました。

たぶん蔵書は1000冊は超えていたと思います。

まさに、この時の自分は、「頭でっかち」の、まさに「心理学オタク」のようになっていました。

 

色々と読書をして、知識として学ぶものはたくさんあっても、イマイチ自分に自信がある感じはしませんでした。

そして、そんな僕を決定的に変えてくれたのは、とあるグループカウンセリングの勉強会に1年間参加した時でした。

その講師だったカウンセラーの先生は、ある日僕がひとしきり自分の生い立ちを話した後に、こう言いました。

 

「あなたは、本当に家族思いなのね。いいねえ。」

 

このたった一言で、僕の中のなにかが崩れて、今まで抑えつけてきた感情が、一気にあふれ出して来るのを感じました。

 

ずっと、自分は家族を捨てた薄情者だと、心のどこかでは罪悪感を感じていました。

ずっと、自分は人を本当の意味では愛せない、冷たい人間なんじゃないかと恐れていました。

ずっと、自分さえ我慢して頑張っていれば、またいつか家族が元に戻る、幸せなあの家族が戻ってくる、そう思って、離婚の現実を受け止めきれない自分がいました。

ずっと、両親の揃った家庭で暮らしたいと思ってきました。

ずっと、「僕は大丈夫だ。何も悲しいことはない」と、自分の本当の気持ちにフタをしてきました。

ずっと、家族のことが心配で、家族のことが大好きで、お父さんもお母さんも、妹も、おじいちゃんもおばあちゃんも、皆がいがみ合わないで幸せに暮らせる日が、また戻ってくる、そう願っていました。

ずっと、親や妹には心配はかけられない、僕が家族を守るんだ、そうやって我慢してきました。

 

それを「もう、自分を責めないでいいよ」と言ってくれた気がしたのです。

 

自分でもびっくりするくらいに涙がどんどん溢れてきて、しばらく止まりませんでした。

カウンセラーの先生は、「泣けてよかったね」と言ってくださいました。

 

この時の体験が、言うまでもなく今の僕のカウンセリングの核の一つになっていることは、間違いありません。

 

人は心の深いところにやさしさと愛が届いた時、初めて孤独や罪悪感、恥といった、これまで一人では痛すぎて触れられなかった心の痛みに触れることが出来るようになり、本当の意味で癒されるのです。

 

僕の場合、両親が離婚してから10年近く経ってやっと離婚の事実を受け入れ、そのことを悲しみ、涙を流すことができたのです。

 

感情は、しっかりと感じ取ってあげればちゃんと「成仏」していきます。

 

それからというもの、僕自身の心の深いところで癒しが一気に進みました。

 

両親の揃った家族連れが街を歩くのを見て、自然と涙が出てくるようになったのです。

これには僕自身が一番ビックリしました。(笑)

塾のバイトに行く途中だったりしたので、その時は焦りましたが。(笑)

 

症状がウソのように消えていった

心の痛みが癒えてから、それまで悩んでいた対人恐怖的な症状が、いつの間にか消えていたのに気づきました。

知らない間に、自分自身に自信がついていたのです。

 

「自分は許されている、愛されている」と実感できたことで、根本的なところで確固たる自信がついたのです。

 

そして、今まで自分は冷たい人間じゃないかと心配していたのですが、子ども時代を振り返ってみた時に、自分自身も案外やさしい一面をたくさん持っていたことや、自分自身は本来とても好奇心旺盛で、やんちゃな一面も持っていたことなどに気づきました。

 

そんな風に、自分自身のポジティブでやさしい、愛すべき一面を、しっかりと自分のものとして受け入れることが出来たとき、心の底から自分自身に存在レベルでの自信がついたのでした。

今まで、自分のネガティブな一面ばかり意識して、それをダメだ、ダメだと責めてきましたが、ポジティブな一面もしっかりと意識してあげると、自然と心の底から自分自身を愛おしく感じる気持ちが湧いてきたのです。

 

これが、僕が「ポジティブ感情」を重視するようになったきっかけの一つでもあります。

 

一人でも多くの人にカウンセリングを広めたい

その後の僕は、カウンセリングの技術や実践方法をたくさん学び、現場に出て、日々色々な方のお悩みに向き合っています。

 

上に書かせてもらったような自らの体験や実際の日々のカウンセリングでの経験から、愛や赦し、安心感、感謝、達成感などの「ポジティブ感情」が、人々の心を癒す絶大な力を持つという信念のもと「真の自己肯定感を育むカウンセリング」を行っています。

 

ここまで長い長い僕の生い立ちを読んでくださって、本当にありがとうございました。

僕は心の底から、専門家としてあなたの力になりたいと思っています。

 

次は、あなたと面談ルームでお会いできることを、楽しみにお待ちしております。

最後まで読んで頂き、感謝です。

悩みのタイプに応じて、カウンセリングの進め方は違ってきますが、適切に対応していくことで、必ず改善します。

 

一緒に解決へ向けて力を合わせていきましょう。

 

尼崎カウンセリング研究所 所長
心理カウンセラー 南ユウタ


 

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 まずは精神科や心療内科を受診してください。

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