心の中の赤ちゃんと向き合うこと
心理カウンセラーの南ユウタです。
僕はセラピーを受けていく中で、
「自分は心のどこかに赤ちゃんみたいな部分を隠し持っていたんだなあ」と痛感していきました。
赤ちゃんは本来、とても自己主張的です。
表現の仕方は原始的です。
時に自己や他者を破壊しかねません。
それを受け止められ、生き残ってもらえたから、今の僕がここにいます。
このことについて、ウィニコットという心理療法家の「生き残ること」という考えがあります。
この言葉は、特に心に「赤ちゃん」を抱えた人たちのセラピーではよく出てきます。
以下、
『ウィニコットがひらく豊かな心理臨床 「ほどよい関係性に基づく実践体験論』という論から引用します。
子どもは情け容赦なく親や養育者に要求をぶつける。
子ども自身の内的動機は別にして、表に現れた行動自体はまるで前後左右のない他者破壊的、自己破滅的、被害妄想的なニュアンスに彩られている。
そして困ったことに、子ども自身は自分の依存的しがみつきや支配的依存の行為が親や養育者との人間関係の観点からしてどれほどの危険をはらんでいるかということを考えないままでいるのである。
とにかく周囲にいる意味ある養育者に向かって自分の内的高まりのすべてをぶつけて、その結果から自分自身の自覚や判断を育てていきたいと願っているわけなのである。
周囲の養育者が子どもの行為についてこうした理解をもたないで、とにかく子どもの度外れたわがままとかコントロールを欠いた異常な情緒といったようにみなして闇雲に抑え込んでしまおうとすると、子どもの心の成長は簡単にゆがめられてしまう。
親や養育者は、情け容赦なくぶつけてくる子どもの情緒に対して、それが本質的にまずいものとか恐ろしいものではなくて、しかし、それでもそれなりに制御していく必要もあるということを絶妙な加減で伝えていかなければならないのである。
ウィニコットはそうした親や養育者の関わりを、仕返しすることなく「生き残る」こと、そして子どもの受け止める能力の成長程度に合わせて「ほどよく制限を与えていく」と言い表している。
実際に子どもとの関わりで困っている親や養育者に向き合って、こうしたことを伝えていくのはとても難しい。
要は「やさしさと厳しさのバランス」「一貫性とミスとその修復のバランス」です。
ご紹介した文章の次に出てくる文章のタイトルが
「幼児の攻撃的依存の心をほどよく受け止めること」です。
こうした考えを言っているのはウィニコットだけではありません。
言葉は違えど、心理療法の文献にはよく出てきます。
完璧な親や養育者などいないように、完璧なカウンセラーも存在しません。
そして、アダルトチルドレンや愛着障害の方は、そういう人を相手にして「育ち直し」をしていくわけです。
だから、赤ちゃん・幼児から思春期に至るまで、「子ども」を育てていたらどこの家庭でも起き得ることは大抵起こります。
常に親が正しいわけではないのと同じく、常にカウンセラーが正しいわけでもありません。
時にカウンセラーはどっしりと立って対峙するくらいの気合いと覚悟が必要だと思います。
そうやって「手応え」を感じられなければ、「自分は大切にされているのだ」と肌で覚えていくことはないでしょう。
だから、僕は違うことは違うと言うし、間違ったと思えば謝ります。
そういう姿勢を背中で見せるのです。
多くのアダルトチルドレンや愛着障害の方の幼少期に欠けていたのは、実はそういう「ほどよく親切だけど、たまには間違う養育者」との話し合いであり、その人が自分の依存的な攻撃にも「生き残ってくれること」です。
そういう事情があるから、「自己肯定感」はそんなに生やさしいものではないと思います。
小手先のテクニックで育まれる代物ではなく、大切にしてくれる相手との関係の中で、理解され、尊重される。
時には反発や面倒さも覚えつつ、誤解やすれ違いは地道に話し合い修復に取り組む。
そんな関係こそが命です。
そういう関係がなければ、その人はずっとどこかでそういう関係を持ってくれる人を、自分のエネルギーをぶつけてもちゃんと逃げずに向き合ってくれる「親」を探し求め続けるでしょう。
人間はそうやって発達していきたいと願っているからです。
そんな事情もあって、
もしも僕が「深く傷ついた人のカウンセリングでのモットーは?」と聞かれたら、「その人に仕返しすることなく生き残ること」です、と答えるかもしれません。
まあ、とはいえ、「ほどよいカウンセラー」は、言うは易く行うは難し、なのですが…
僕がそういう
「仕返ししないで生き残る人だ」とわかり、「ほどよく親切でたまにミスる人や」と肌でわかってくれば、深く傷ついてきた人たちの「他者イメージ」が変わっていきます。
「どうせわかってくれない」とあきらめてきた人の心に「色々あったけどわかってくれるもんなんやな」と希望が芽生えます。
アダルトチルドレンや愛着障害のセラピーにおいて、「カウンセラーから仕返しされない」「カウンセラーから手応えを感じられる」「カウンセラーがミスるけどちゃんと話し合える」体験がどれほど大切か。
コレ、本当に大切だと思います。
そういう体験がなきゃ、その人は「人間」に寛容になれないでしょう。
それがなければ、「またこの人も一緒か」と絶望し去っていきます。
そういう「関係性」がないと、人は「成熟」できません。
成熟をまるで一人で成し遂げたかのような感覚に陥るのは錯覚です。
赤ちゃんの時にギャーギャー泣いて、スーパーで欲しいもの買ってもらえず駄々こねて、お母さんやお父さんに怒りをぶっつけて、それでも家族の縁は切れなかったから成熟します。
人にはある程度の発達のステージというものがあり、そのステージで大切にしてほしかった基本的欲求にちゃんと応えてもらえていなかったら、その欲求にどこかこだわりを持ったまま大きくなります。
悩んでいる人は、発達したがっているのです。
わがままなのではなく、そのエネルギーをぶつけても受け止めてくれる人がいるから、徐々に自分でもそのエネルギーをどう処理すれば良いかわかってくるのです。
カウンセラーや親は、
「お前が悪いか、俺が悪いか」という世界観に流されることなく、生き残るのです。
その子のエネルギーを受け止めてあげるのです。
それがないから、その子は大人になっても「お前が悪いか、俺が悪いか」の世界観を再現するのです。
なぜなら発達したがっているからです。
それが「肌で覚える」ということです。
「腑に落ちる」ということです。
ACや愛着の問題が頭で理解するだけで良くならないのはそういう理由です。
「白か黒か」「敵か味方か」という世界観に流されることなく、「グレーゾーンを見られる」「曖昧さと不完全さに耐える」力を育むことが必要です。
だから「地道さ」が大切です。
白か黒かの状態にいる人は、「完璧な親」がどこかにいると思っていることがあります。
でもそれは幻想です。
だから
「地道さ」です。
南ユウタ
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