「自分を好きになる」ができないほんとの理由
「自分に‟ありのままでいいよ”って、言えますか?」
僕が、カウンセリングでよくお尋ねする質問の一つです。
反応は、さまざまです。
一番印象に残っているものは、
「自分でも、今の自分がダメなのはわかっています!!
なのに、どうしてそんなわざわざ見せつけるようなことを言うんですか!!」
といったものです。
この方は、もともと「自分が嫌い」だから、「好きになりたい」「自信をつけたい」というご相談でした。
ただ、そのときにあまりに「今現在の等身大の自分」を否定し過ぎて、あきらかに辛くなっているようにも見えたので、その等身大の自分にもOKを送ることを提案したのでした。
ちなみに、もちろん僕はこの方に限らず、基本的にはダメなところを見せつける意図など持った覚えがありません。
どうやら、この方に限らず、多くの方が、「自分が嫌い」は、自分で言うには良いらしいのです。
でも、相手にそれをただただオウム返しされるだけでも拒否反応が出る方が、意外に多いのです。
カウンセラーだから理解できても、これは他の人が聞いたら一瞬「あれ?」と思うかもしれませんね。
「自分が言ったんじゃん・・・」となる人もいることでしょう。
または、子育てに悩み、自分をあきらかに責めていたお母さんがいました。
「ごめんなあ。アカンお母さんで・・・」が口癖でした。
そのお母さんに「もしも〇〇さんが、ご自分でおっしゃるような、‟ダメな自分”でも、‟アカンお母さん”だったとしても、‟大丈夫。ここに居ていいよ”って、自分で自分に言ってあげたら、どんな気もちが湧いてきますか?」と言うと・・・
はじめのうちは大粒の涙を流されました。
あとで、自分では抑えきれないほどのたくさんの感情があふれ出して、止まらなかったと教えて下さいましたが・・・
実は、そのときは、しばらく経つと、
「ダメなお母さんとは、思っていないんです・・・」と仰います。
少し声が大きくなり、今度はなんだか気分を害されたご様子でした。
ここで、僕は「あれ?」と思いました。
さっきの方と似ています。
「自分で言うには良い」けど、
「あえて人から言われると癪に障る」ように見えます。
僕は、いつしか、こうした方たちに共通する特徴を見つけました。
そのひとつは、「強い自分」で生きてきた、ということ。
または、今まで「誰かのため」に生きてきた、ということ。
いや、正確には「誰かからの評価」に頼り切って生きてきた、ということでしょうか。
こうした方は、周りから見れば気が強そうな印象を与えていることも多いですが、
本人は実は自分がとっても傷つきやすいことに薄々、またははっきりと気づいていることもあります。
ただし、「そんな弱い自分ではダメだ」と心底思い込んでいることも多く、なかなかカウンセリングでも自分の弱みや感情を表に出すことが難しいと感じる傾向があります。
そもそも自分は「感情などバカらしい」「感情など必要なし」「感情なんか仕事には関係ない」と信じて生きてきた、というパターンも多いですね。
または、無自覚に、自分の感情よりも、他人の感情を常に優先する癖があったりもします。
いずれにせよ、自分の感情を無視する癖が身についてしまい、それが「うつ」や「傷つき体験」などでバランスが保てなくなった途端に「災いの元」になってしまうのです。
「強い自分」と、「感情の無視」が、「弱い等身大の自分」と「ほんとの気もち」への目隠しになってしまうのです。
心の底では、「自分の感情」が眠っていることが圧倒的に多いのですが、なにより自分自身がそのことになかなか気づけません。
だからこそ、カウンセリングが必要になるくらいまで自信喪失し、身体が言うことを聞いてくれないほど悩むまでに至ったとき、冒頭のお二人のように、周りからみると「不思議」な現象が起こるのです。
一方では、「強い自分、周りから評価される自分」をキープしたい、またはキープしないといけないと思っていたりします。
だけど、やっぱり弱音や本音はあるので、抑えが効きません。
だから、まるで猫の目のように、言っていることがくるくると変わり、本人もそれに薄々気づいていたとしても目をつむっているのでなかなか話題に上らない、といった展開になってしまうのです。
こうした方が、自分を好きになるには、どうしたらいいのでしょうか?
それについては、また次回考えてみたいと思います。