競争社会と心の病

競争社会と心の病

 

カウンセリングをしていると、

社会の雰囲気や価値観が

その人の生きづらさに

大きな影響があるなあと実感します。

 

 

たとえば、

多くのクライエントさんが

「比べ癖」をもっています。

 

 

自分と他人を比べて、

ダメなところが目につき

「自分はダメだ」と感じる癖です。

 

 

そして、

馬鹿にされるのではないか?

変に思われるのではないか?

などと不安になり、

身動きができなくなるのですね。

 

 

こうした人が大量生産されている背景に

僕は「競争社会」という社会のありようが

見える気がするのです。

 

 

多くの人が「勝ち組」になることが

かっこいいこと、

よいことと思ってはいないでしょうか?

 

 

逆に言えば

「負け組」と見なされることを

過剰に怖れるように

なっていないでしょうか?

 

 

身の回りに、

「勝ち組か負け組か」という

まなざしが溢れ過ぎていないでしょうか?

 

 

そんな社会に染まって生きるうちに、

いつのまにか、

自分のことも他人のことも

 

「上か下か」「勝ちか負けか」

という風にしか

見れなくなってはいないでしょうか?

 

 

 

そして、

常に他人と競い、比べて

自分や他人を「値踏み」する癖が

身についていないでしょうか?

 

 

 

実際、

アダルトチルドレンや対人恐怖

トラウマといったご相談を受けていると

 

背景に「負け組と思われたくない」という

強い「とらわれ」があるのでは?と

感じる人に出会うこともあります。

 

 

その「とらわれ」を

「なにかがおかしいぞ?」と疑問視できると、

改善も早いなあと思う一方、

 

 

「勝ち組」になること

「負け組」にならないことに

強すぎるこだわりを持つ人は、

 

 

正直なところ、

時間がかかることも多いなあと感じます。

 

 

なぜなら、

そうした人は「根本的なカン違い」を

起こしていることに

なかなか気づけないからです。

 

 

「人の価値は、

勝ち負けや優劣・上下で比べて、

ランク付けができる」

 

 

そんな「根本的なカン違い」です。

 

 

 

「人のありのままの存在価値は、

決して比べることができない」

というのにもかかわらず、です。

 

 

僕がこう言っても、

「そんなのきれいごとだ」

くらいにしか感じられない…

 

 

その人は、

僕に出会うまでに

親や教師、友人やテレビなど

周りの人たちから

競争社会の価値観をたくさん浴びてきています。

 

 

 

とくに、

ナルシスト傾向が強い人は、

どこかに「差別意識」さえ持っています。

 

 

「低学歴の人は、人として価値が低い」

「心の病は、精神力が弱い証拠。ただの甘え」

「年老いた人は、もう役立たずだ」

 

 

競争社会で

自分と他人を比べることに

慣れきっている人ほど、

こうしたものの見方に

疑問すら抱けなくなってしまうのです。

 

 

 

僕としては、

なんと窮屈で、

自分にも他人にも

やさしくないものの見方だろう

 

…いえ、「傲慢」なものの見方だろう

と思わざるを得ません。

 

 

だけど、

日々カウンセリングをしていると

こうした競争社会のものの見方を

内面に取り込み過ぎてしまい、

 

 

自分を否定的にしか

見れなくなっている人と

頻繁に会うのです。

 

 

そんな人に

声を大にして言いたい。

 

 

人の存在価値は、比べることはできません。

 

 

たとえば、

AさんとBさんの「能力」や「外見」には

「違い」があるでしょう。

 

 

でも、

「人間としての存在価値」には

「違い」などありませんよ。

 

 

チューリップがタンポポに

なれないのと同じように、

タンポポもチューリップにはなれません。

 

 

でも、

タンポポもチューリップも、

「存在価値」には上も下もないのです。

 

 

あなたは、あなたであってよいのです。

あなたは、そのままで

かけがえのない存在なのです。

 

 

そのことを思い出してほしいのです。

 

 

自分が自分であってよい

自分が自分のために生きてよい

 

そう確信できる日こそ

人がほんとうの意味で生きづらさから

解放される日です。